2018/04/18

【信仰書あれこれ】森有正のキリスト信仰

現代のアレオパゴス――森有正とキリスト教』(森有正古屋安雄加藤常昭、1973年、日本基督教団出版局』 は、森有正を相手に、加藤常昭(本書発表当時、東京神学大学教授)と古屋安雄 (本書発表当時、国際基督教大学教授)が鼎談形式で話し合い、森有正の信仰を浮き彫りにする本です。

本書から、森有正の興味深い発言をご紹介します。

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プロテスタントの牧師を父に持つ森有正は、中学卒業までの11年間、カトリックの曙星に通わされたそうです。

  • プロテスタントからカトリックになるかという問題で先方から、やいやい言われた時にそうならなかった理由はひとつです。むこうの批判は、プロテスタントは信仰が主観的だから、そういう主観的なものに自分の霊魂の世界を委託していたら、神様が本当にどう思うかわからない。カトリックのように、客観的に神様のおぼし召しと、神様が制定された教会というものに頼って、自分の救いを客観的に全うしなければいけない、というのがむこうの論旨ですよ。……ことにキリスト以来、一貫して続いている教会ということがあるわけですが、これはずいぶんたくさんの人々をゆすぶると思うんですよ。しかし、私は考えたんですが、個人の信仰というのは主観的というけれど、カトリックになるのだって、個人が決心してなるわけでしょう。……感覚的に目に見えているカトリック教会に、自分の一生を託することだって、自分で決心しなければできないことです。それから、魂で信ずる、キリストに自分を委ねるということだって、その点では両方まったく同じで、客観的、主観的という区別はどこにもない。……キリストによって罪が赦される。罪という本質を考えたとき、罪というものが外形的な問題で処理できたりするものでは絶対ないということは、僕の牢固たる確信ですからね。それだから僕は動く必要を感じなかった。……建物とか伝統とか儀式とかによって、客観的だと言っても、そのほうがよっぽどあぶないですよ。(37~38頁)


信仰の確信についてはこう語ります。

  • 結局私は、キリスト教を信じているというのは、……恩寵がその内的権威をもって私どもを強制して信者にしている……私どもは信ぜざるを得ないから信じているという面があると思うのです。信ぜざるを得ないという確証は、「経験」の中で神が我々に与えるわけですよ。それがなかったら、牧師が伝道するなどというのもおかしな話だし……やはり我々の中に、恩寵によって、ともかくキリスト教の神を信じていく以外には自分の生きる道はないんだというところに立たされていないと問題にならないと思います。(77頁)
  • 僕はもう、実際、キリスト教が嬉しくなるということが、本当になくてはならないし、僕にもそれがありますから、そう言うわけですけれども、生まれながらの人間というのは、そういうものを喜ばないものです。なんとなくのんびりして生きたいのに、さあ恩寵だ、さあ十字架だ、それ罪だということになると、みんなしょんぼりしてしまう。けれども、それにもかかわらず、さっき僕が申しあげたように、やはり神様の、ある「権威」に強制されて、ここまで来てるわけですから。それは尊いものだと思うし……。(113頁)


教会で罪を説くことの重要性を強調します。

  • 神様の義というものは、人間の心の中に隠れているものを明らかにさせるものであるという、罪の問題ですね。この問題は、キリスト教が倦まず弛まずやらなければならないと思いますよ。すべての問題がゆきづまった時に、その根底に罪があるということは、これは例外なくそうなんですから。罪がなければ、人間として問題は何もないわけですから。それは、私は非常に確信していることです……なぜ社会問題がもつれ、病気が起こるともつれるかというと、やっぱり本当に人間というのは、己を欲して他人を滅ぼそうとする罪の本質があるわけですからね。家庭の不和にしても何にしてもそうなのだし……神様が存在することを嫌がるという、そういう人間の「罪」の本質というものを、何らかの形で明らかにしていただく、それ以外に人間を救う道はないと思います……で結局、「神様の恩寵」と「人間の罪」の認識ということはひとつのことなのだから、片一方がなければ片一方はわからないわけですから……。(114~115頁)
  • キリスト教の福音の本質が、人間の罪の赦しであるということが、自分の、それこそ私の言葉を使っていえば、「経験」の面に形として(そのような人には)現われていないわけですよ。だから、絶えず観念の面をフワフワ飛んでいるからだめなんです。なぜキリストが十字架についたか、ということがはっきりしないわけですよ。なんか、人間を愛する偉大な理想のためにキリストが十字架についた、なんで考えてるのでしょう(そのような人は)。(122~123頁)


本人の著作以外に、関屋綾子著『一本の樫の木――淀橋の家の人々』 や、た栃折久美子著『森有正先生のこと』(1983年、筑摩書房) も森有正の人となりに触れる興味深い本で

JELA事務局長
森川 博己

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