2018/01/15

【信仰書あれこれ】生活を変えるデボーションと小さな勇気

毎年、1月からデボーションの本を新しくすることにしています。デボーションはキリスト教的には、「日々、時を定めて神の前に自らのこころ、たましいを静める営み」(ウィキベデアの定義)のことで、以下は、それを助けるための本の話です。

この種の本は何種類もありますが、今日ご紹介したいのは、元旦から読み始めた、エミー・カーマイケル著『日毎の霊想 主の道を行かせてください』(湖浜馨訳、いのちのことば社、1989年)です。

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一日分が一頁、短い聖書個所と、そこを霊的にとらえた著者の言葉からなっています。その日の箇所を静かにゆっくりと、コーヒーをすすりながら読むのが私の朝の日課です。

1月13日の記述の一部が特別に心に響き、教会手帳の表紙裏に書きとめました。こうすると、日々のスケジュールを確認するたびに読み返せるのです。写したのは次の文章。

「私が親切にしてあげられる人がいないだろうか。私が神のいつくしみを示してあげられる人がいないだろうか。慈愛に満ちた神よ、どのようにしてあなたのいつくしみを示したらいいのか教えてください」。

不思議なことですが、それからすぐ、この部分に重なる実践ができました。

以前から通勤のバス停で見かける男の子が気になっていました。所作や表情は子どもっぽいものの、体格や髭の伸び具合からすると二十代に見えます。彼はおとなしく、私も人見知りをするたちなので、何度もバス停で顔を合わせながら、言葉を交わしたことがありませんでした……何年も。

カーマイケルの言葉を手帳に記した日の朝、バス停に向かうと彼がいたので、勇気を奮って話しかけました。にこにこした顔で返事が返ってきたではありませんか。何らかの障がいのためか、意思疎通は簡単ではないのですが、仕事場(作業所?)に行くところらしいことはわかりました。

今朝も彼に会い、この前よりも話が弾みました。バッグから飴を取り出して一つ分けてくれさえしました。「もう友達だね」ということでしょう。終点の武蔵境駅で、「おじさん仕事行くの? えらいね」とほめられたお返しに、「がんばってね」と彼にも声をかけました。以前に比べ、彼の歩く姿に明るさがましたような気がします。

カーマイケルの本を読んでなかったらこの展開が起こりえたか、私にはわかりません。しかし、今はワクワクした毎日を神に感謝しています。新しい出会いが生まれるには少しの勇気があればよいのだ、という事実を久しぶりに体験しました。その前は……三十数年前に今のワイフにプロポーズした時だったような気がします。

皆さんの新しい出会い、ワクワクする出来事についても、メールや郵便でお知らせいただけると幸いです。ご自分が使っていらっしゃるデボーションの本の感想も大歓迎です。

JELA事務局長
森川 博己

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